大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 平成2年(行コ)43号 判決

控訴人・附帯被控訴人(原告) 和辻潤治

被控訴人・附帯控訴人(被告) 尼崎市

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  被控訴人の附帯控訴に基づき、原判決中被控訴人敗訴の部分を取り消す。

三  控訴人の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審とも控訴人の負担とする。

事実

第一申立て

一  控訴の趣旨

1  原判決を次のとおり変更する。

2  被控訴人は控訴人に対し、金二六八二万五四五〇円及びこれに対する昭和六二年二月一五日から支払済みまで年五分の割合により金員を支払え。

二  附帯控訴の趣旨

主文二、三項と同旨。

第二事実関係

一  請求原因

1  (本件裁決の存在)

被控訴人は、起業者として、阪神間都市計画道路事業塚口駅小中島線、東塚口線、上坂部西公園線の土地収用を計画し、兵庫県尼崎市上坂部二丁目一〇二番田五九平方メートル、同所一〇三番田四六九平方メートル(いずれも公簿上)等の土地について兵庫県収用委員会に対し土地収用の裁決の申請を行ったところ、同収用委員会は、昭和六一年一〇月三一日右土地の所有者である廣田栄一及び関係人である控訴人等に対し、収用の裁決(以下「本件裁決」という。)をした。

2  (控訴人の賃借権)

(一) 控訴人は、昭和三四年に廣田栄一と締結した賃貸借契約に基づき、同人から前記収用に係る土地の一部である別紙物件目録記載の土地(以下「控訴人主張賃借地」という。)のうち別紙図面のホ、ヘ、ト、チ、ニ、ホの各点を順次直線で結んだ線で囲まれた部分(以下「乙地」という。)を除いた土地を建物所有の目的で賃借し、さらに、昭和三六年には乙地を右賃貸借契約の対象に加えることを黙示的に合意し、又は廣田の黙示の承諾を得た。

(二) 仮に、控訴人主張賃借地のうち別紙図面のイ、ロ、ニ、ハ、イの各点を順次結んだ線で囲まれた部分(以下「甲地」という。)が控訴人と廣田間の賃貸借契約の対象に含まれていなかったとしても、甲地は、昭和三四年以降二〇年以上にわたり、控訴人が賃借地の一部として平穏公然に使用占有してきたものであり、控訴人が甲地を賃借地の一部と信じたことについて過失はなかった。したがって、控訴人は、甲地の賃借権を時効取得した。

(三) また、乙地について、仮に昭和三六年に賃借地に加えることの黙示的合意ないし承諾が認められないとしても、控訴人は、昭和三六年以降二〇年以上にわたり乙地を賃借地の一部として平穏公然に使用占有してきたものであり、控訴人が乙地を賃借地の一部と信じたことについて過失はなかった。したがって、控訴人は、乙地の賃借権を時効取得した。

(四) 控訴人は、本訴において、右(二)及び(三)の時効を援用する。

3  (本件裁決の内容)

本件裁決は、控訴人の賃借地につき、

(一) 借地面積を二四〇・七平方メートルとし、

(二) 更地価格を平方メートル当たり二五万五〇〇〇円(昭和五八年三月八日時点)とし、

(三) 借地権配分割合を〇・五五とし、

(四) 物価変動修正を行い、

結局、控訴人に対する損失補償の額を三五一〇万一七五〇円とした。

4  (適正な損失補償額)

しかし、本件裁決の右損失補償の額は適正なものではない。すなわち、

(一) 控訴人が廣田から賃借している土地の範囲は、前記のとおり控訴人主張賃借地であるから、その面積は二八六・七〇平方メートルである。

(二) 更地価格は平方メートル当たり三六万円を下らない。

(三) 借地権割合は〇・六が相当である。

これらの数字により損失補償額を算出すると、六一九二万七二〇〇円となる。

よって、控訴人は被控訴人に対し、前記土地収用による損失補償金として、本件裁決との差額金二六八二万五四五〇円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和六二年二月一五日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被控訴人の主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)のうち、控訴人が昭和三四年に廣田から別紙図面の一〇二B及び一〇三Bの土地を賃借したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同2(二)及び(三)の事実は否認する。

3  同3の事実は認める。

4  同4の事実は否認する。本件裁決の控訴人に対する損失補償額は適正である。

本件裁決において、兵庫県収用委員会が控訴人に対する損失補償額算定の基礎として認定した控訴人の賃借地の更地価格は平方メートル当たり二五万五〇〇〇円であるところ、原審鑑定の結果では、右更地価格を平方メートル当たり二五万五三六〇円としている。しかし、不動産の価格の算定は、その性質上、評価人・評価方法によりある程度の差異が生ずることは避け難いから、不動産価格を基礎として算定される補償額の裁決については、収用委員会に合理的な範囲内での裁量が認められるべきである。本件裁決における控訴人借地の更地価格と原審鑑定の結果とでは、平方メートル当たり三六〇円、率にして〇・一四パーセントというごくわずかの差しかないのであるから、本件裁決の右補償額は、合理的範囲内の裁量の枠内である。仮に、右裁量が認められないとしても、前記鑑定と本件裁決との更地価格の差異は、土地価格の評価という事柄の性質上鑑定に不可避的に伴う誤差の範囲内であり、右鑑定結果は本件裁決の正当性を示すものにほかならない。

理由

一  請求原因1の事実(本件裁決の存在)は、当事者間に争いがない。

二1  同2の事実(控訴人の賃借権)のうち、控訴人が昭和三四年に廣田から別紙図面の一〇二B及び一〇三Bの土地を賃借したことは、当事者間に争いがない。

2  控訴人は、昭和三四年に廣田から控訴人主張賃借地のうち乙地を除いた部分を賃借した旨主張するので、検討する。

証拠(甲第五号証、第一〇号証、乙第二号証、第七号証、第九ないし第一一号証、第一五号証、原審証人弓場晴男、当審証人廣田栄一、原審・当審控訴人本人、原審鑑定)によれば、次の事実が認められる。

(一)  廣田は、昭和二八年一〇月、柄谷建設株式会社に対し、その所有する一〇二番、一〇三番の土地のうち別紙図面の一〇二B及び一〇三Bに相当する部分七二・六坪を賃貸した。右賃貸に際しては、柄谷建設において土地を測量し、実測図面を作成した。

(二)  その後、廣田は柄谷建設に対し、更に右賃貸土地の南側の土地(別紙図面の一〇二C、一〇三C及び一〇三Dの部分)七二・六坪を賃貸した。

(三)  廣田は、柄谷建設が賃料を支払わなくなり、賃借権を放棄したとして、昭和三四年六月右会社を被告として尼崎簡易裁判所に右賃貸地上の建物の収去及び右賃貸地の明渡しを求める訴えを提起し、同年一〇月二四日、同裁判所において廣田の請求を認容する判決が言い渡された。

(四)  ところが、柄谷建設に対して債権を有していた控訴人が、同会社から右賃貸地上の建物の権利を取得したとして、廣田に対し自己に土地を賃借してほしいとの申し入れをした。

(五)  そこで、廣田は、従前右会社に賃貸していた土地のうち当初の賃貸部分すなわち別紙図面の一〇二B及び一〇三Bの部分を賃貸することとし、昭和三四年一二月七日廣田と控訴人双方の代理人の弁護士が立会いのうえ「土地賃貸契約公正証書」(乙第二号証)を作成した。右公正証書では、賃貸土地の面積は七二坪六合とされ、その範囲を示すための図面が添付されたが、右図面は、廣田が柄谷建設に賃貸したときに作成された実測図に基づくものであった。

(六)  右公正証書添付の図面と本件裁決の申請に当たって被控訴人が作成した実測図面とを対比すると、右公正証書によって廣田が控訴人に賃貸した土地の面積は七二坪六合で別紙図面の一〇二B及び一〇三Bの部分の実測面積二四〇・七平方メートルと等しく、また、公正証書添付図面の上で賃貸土地の東側の境界線の長さは五・八一間と記載されており、別紙図面のリハ線の実測距離一〇・五六三メートルと一致しており、その他土地の形状、位置の比較からいっても、右賃貸地が別紙図面の一〇二B及び一〇三Bの部分に該当することは明らかである。また、別紙図面の一〇二A及び一〇三Aの部分は、北側の公道(県道)に面した水路であるところ、右公正証書添付の図面においても、県道の南側の「公溝」が賃貸地の範囲に含まれないことは明示されている。

以上の事実が認められ、右認定の事実によれば、廣田が昭和三四年に控訴人に対して貸貸した土地の範囲は別紙図面の一〇二A及び一〇三Bの範囲のみであることが明らかである。

原審・当審の控訴人本人尋問の結果中には、控訴人が廣田から賃借したのは別紙図面のロニ線より北側であり、甲地も別紙図面の一〇二A及び一〇三Aの部分の土地も含まれていた、賃借に当たっては、廣田が現地でその範囲を指示し、ロニ線上に杭を打ったので、後に自分が石の杭に変えた、検甲第一号証の三ないし六の写真に写っている石がその石杭であるとの供述部分がある。しかし、検甲第一号証の三ないし六に写っている石が控訴人が供述するようなものであるかどうかは右写真からは明らかでないし、控訴人の右供述部分は、右認定の事実及び証人廣田の証言に照らして信用できない。また、弁論の全趣旨によれば、別紙図面のロニ線は、控訴人が所有する居宅及び店舗建物の南側の軒の線とほぼ一致することが認められるが、証拠(甲第六、第七号証、当審控訴人本人)によれば、右建物が建築されたのは昭和三五年九月ころであり、控訴人が廣田と賃貸借契約を締結した昭和三四年一二月当時にはこれらの建物は存在しなかったことが認められるから、ロニ線が右建物の位置を基準に定められたわけではなく、特にロニ線を賃借地の境界線と定める必要があった事情を認めるに足りる証拠もない。

他に、別紙図面の一〇二B及び一〇三Bの部分以外を廣田が控訴人に賃貸したことを認めるに足りる証拠はない。

3  控訴人は、昭和三六年に乙地を賃貸借契約の対象に加えることを控訴人と廣田の間で黙示的に合意し、又は廣田の黙示の承諾を得た旨主張するので検討する。

証拠(乙第三ないし第五号証、第一二、第一三号証、第一四号証の一ないし五、検甲第一号証の八、原審証人弓場、当審証人廣田、原審・当審控訴人本人、原審鑑定)によれば、乙地上には廣田が柄谷建設に賃貸していた当時から便所に使用されている建物があったこと、廣田は右便所については後に取り壊すつもりでいたので、控訴人と賃貸借契約を締結した際にもその敷地部分まで控訴人に貸すつもりはなかったこと、しかし、控訴人は廣田との賃貸借契約締結後右便所を使用し、乙土地を占有してきたこと、廣田は昭和三六年に、控訴人が賃貸地以外の部分すなわち別紙図面の一〇二C、一〇三C及び一〇三Dの部分に物置小屋を建築して権原なく右土地を占有していると主張して、控訴人を被告として、建物収去及び右不法占拠部分の土地の明渡しを求める訴訟(右訴訟で廣田が明渡しを求めた土地の範囲には乙地も入っているが、便所の建物については収去を求めていない。)を尼崎簡易裁判所に提起し、昭和三七年に請求認容の判決があり、右訴訟は昭和三九年四月に神戸地方裁判所で控訴棄却、昭和四〇年六月に大阪高等裁判所で上告棄却の各判決があり、確定したこと、廣田は同年一一月に右物置小屋の収去の強制執行をしたこと、当時、便所について廣田が収去まで求めなかったのは、柄谷建設が建築した同会社の所有物であると考えていたことによるものであって、その敷地を控訴人が使用することを認める趣旨ではなかったこと、以上の事実が認められる。

右認定の事実によれば、控訴人が乙地上の便所を使用して長年の間乙地を占有してきたからといって、廣田が乙地まで賃貸地の範囲に加えることを黙示的に控訴人との間で合意したとか、承諾したとはいえない。他に、控訴人の右主張を認めるに足りる証拠はない。

4  次に、控訴人は、甲地及び乙地について賃借地の一部として長年占有してきたとして右部分の賃借権を時効取得した旨主張する。

しかし、これまで認定してきた事実によれば、控訴人は甲地及び乙地を単に事実上占有してきたものにすぎず、さらに、証拠(乙第一六、第一七号証)及び弁論の全趣旨によれば、廣田と控訴人との間の賃貸借契約の資料は昭和三四年以来数回にわたり値上げされてきているが、常に賃貸面積を七二・六坪として計算されていることが認められ、この事実からも、控訴人が右各土地を賃借の意思で占有していることが客観的に表現されているものとみることはできない。

したがって、控訴人の右主張は採用の限りでない。

三  請求原因3の事実(本件裁決の内容)は、当事者間に争いがない。

四  そこで、本件裁決が適正なものであるか否かについて判断する。

1  控訴人の賃借地の面積が二四〇・七平方メートルであることは、前示のとおりであるから、本件裁決の右の点の判断に誤りはない。

2  本件裁決は、更地価格を平方メートル当たり二五万五〇〇〇円(昭和五八年三月八日時点)と認定しているところ、乙第八号証(本件裁決書)によれば、右更地価格は、同地区の地価の動向、近傍類地の取引価格及び兵庫県収用委員会が現地について調査した右土地の価格形成上の諸要因並びに同委員会が求めた不動産鑑定士の鑑定評価を総合勘案した結果算定したものであるとされていることが認められる。そして、原審鑑定の結果(不動産鑑定士前田秋雄の鑑定)は、右時点での更地価格について、取引事例比較法により、公示価格も参考にして近隣地域の標準的画地の更地価格を求め、これに個別格差を勘案して、二五万五三六〇円と認定しているところ、右鑑定の過程に特に疑問とすべき点も見当たらないから、この結果は信頼することができる。そして、右鑑定の結果に照らせば、同時点での更地価格を平方メートル当たり二五万五〇〇〇円とした本件裁決の認定は正当なものとして是認できる。本件裁決の認定した更地価格と前記鑑定が算定した更地価格とは平方メートル当たりで三六〇円の差があるが、ごくわずかの差にすぎず、不動産の価格の評価がその性質上ある程度の幅を持つものであることに鑑みると、この程度の差は不動産の価格評価に伴って生じる誤差の範囲内であると考えるのが相当であり、本件裁決の認定額の正当性を左右するものではない。

甲第三号証の一ないし三及び原審・当審の控訴人本人の供述も右認定を動かすには足りず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  乙第八号証によれば、本件裁決は、控訴人の賃借地の借地権割合について、類似地域における借地権の取引慣行、大阪国税局が認定する相続税の権利割合、右土地の利用形態等を総合勘案して〇・五五と認定したものとしていることが認められる。そして、本件裁決の右認定は、前記鑑定の結果に照らして、妥当なものと認められる。

右鑑定の結果によれば、右土地付近における国税庁査定の借地権割合は〇・六であることが認められるが、右鑑定は、この国税庁の査定の数値も参考にしたうえで、控訴人の賃借地の個別的な要因(資料支払の経緯、敷金権利金等の支払の経緯、建物の用途等)を勘案して借地権割合は〇・五五が妥当であると判断しているのであり、国税庁の査定数値が〇・六であることは右認定を左右するに足りるものではない。

他には右認定を左右するに足りる証拠はない。

4  したがって、控訴人が本件裁決による損失補償額の算定が適正でないことの根拠として主張する点は、いずれも失当である。

五  以上によれば、控訴人の本訴請求が理由がないから棄却すべきものである。

よって、控訴人の本件控訴は理由がないからこれを棄却し、被控訴人の附帯控訴に基づき原判決中被控訴人敗訴の部分を取り消して控訴人の請求を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 上田次郎 渡辺貢 小松一雄)

別紙

物件目録

(一) 尼崎市上坂部二丁目一〇二番

田(現況宅地) 五九平方メートル   (公簿)

八七・〇四平方メートル(実測)

のうち六八・七六平方メートル

(二) 同所一〇三番

田(現況宅地) 四六九平方メートル   (公簿)

六〇九・〇三平方メートル(実測)

のうち二一七・九四平方メートル

以上合計二八六・七〇平方メートル(別紙図面中赤線で囲んだ部分)

別紙図面〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例